さて,あらためてHスポ少野球部の決勝戦当日のことを振り返ります。
K太の学童野球最終戦,秋季大会決勝戦は「涙・なみだ」で終幕を迎えました。
7回表の2アウト。バッターボックスにはこの日2安打と絶好調の8番6年生のセカンド君。K太は2塁まで進塁。
2塁走者としてセカンド君のヒット,出塁を信じていたはずです。ネクストには代打,5年生の控のショート君。控といっても,
あくまでも登録上の控で彼は守備・打撃ともにレベルは高い。セカンド君が出塁したら,きっと彼が打ってくれる。同点打,
少なくとも1点差には詰め寄れる。そうしたら1番にまわって逆転だ。つなげていけば大丈夫。勝てる。多分,
みんながそんなシナリオを描いていたはずです。
でも,8番セカンド君は出塁することなく3アウト。試合終了。
試合終了の号令がかかり,ベンチから出てきた6年生達はもう泣いていました。終了のあいさつを終えてベンチに帰ってきた彼らは,
ある子はしゃくりあげながら号泣し,ある子は膝を抱えて押し殺すように泣いています。K太も目を赤くして悔し泣き。
「まったく,毎回毎回泣いてばっかりで,本当によく泣くチームだよ」という思いもあるわけです。泣きたい気持ちはこちらも同様なわけで…。
でも「まぁ,今日は泣かせとくか」としばらく放置。
悔し涙をこらえながらの表彰式が終わり…。その後,彼らはさらに大泣きしてしまいました。
実は,Hスポ少野球部の創立(H東西スポ少の合併)時からの監督は,この試合をもって引退することになっていました。
このことは指導者や親には既に周知されていましたし,子ども達も知っている子は知っているという既定の事実でした。K太も知っていました。
でも,この日の解散前のあいさつで,監督からあらためて「この大会で最後です」と告げられて,
辞められることを知っていた子もそうでない子も,低学年のうちから入部した子,最近入部した子,感じ方はそれぞれでしょうが,みんなが
「別れ」を実感して…みんな悲しくなって泣いちゃいました。
監督がひとり一人に声をかけてまわりはじめるもんだから,余計です。
特に,いったん涙が納まっていた6年生達。それにやっぱり付き合いの長い4〜5年生の子ども達,
とにかくほとんどの子が泣いてしまいました。
K太も号泣。もう号泣。
「あぁ,こいつは本当に悲しいときはこんな泣き方をするんだ」と思いました。
付き合いの長さだけで悲しさを測るつもりはありませんが,でもK太は今の部員の中では,監督とは一番長い付き合い。
2年生で入部したH東スポ少の監督時代からです。
K太は監督から「2年生の時から今まで,よく頑張って続けたな」というような言葉をかけてもらったみたいです。
当時のことを思い起こせば,2年生で入部したH東スポ少時代は部員は全部で14名。K太も人数が少ない中,2年生ひとりで,
よく頑張ったと思います。でも,監督達にもずいぶん迷惑をかけたような気がします。
ひとりだけ全くの初心者で,みんなと同じ練習にもなかなかついていけなかったはずだし,
いくらK太のレベルにあった練習をさせたくても,できなかったと思います。私自身も当時は仕事が終わる時間が不規則で,
練習に顔が出せるのはお迎えのための終了間際の10〜20分程度がやっとでしたし。
だから試合が近いときは,ノックならK太はひたすら監督へのボール出しか玉拾い。試合になったらとにかくずっとバット引き。
親として釈然としない思いがなかったわけではありませんが,それでも,K太はグランドに出る事がうれしいみたいで,
いつもニコニコしていました。K太は野球が好きなんだなぁ,と感心したものです。というか,監督に「野球を好きにしてもらったんだなぁ」
と感謝するようになりました。
でも,やっぱり同級生がいないこともあって2年生の冬頃は練習をサボりがちでした。監督にも心配をかけたこともあります。
ホントによく辞めなかったと思います。
幸い3年生になる春休みに東西スポ少の合併が具体化,その監督に現監督が就任することになり,
その年の夏ごろから同級生や下級生も徐々に入部しだして大所帯になって現在に至るわけですが。
なので,K太にしてみれば,Hスポ少時代しか知らない部員とはまた違った,いろんな想いが監督にはあると思うんです。その想いと
「2年生の時から今まで,よく頑張って続けたな」という言葉を重ね合わせると,やっぱり「号泣」ということになるんでしょうね。
野球を始めて間もない2年生の頃のこと,K太がしんどいときに掛けてもらった言葉とか,5〜6年になってからのこととか,
私だってこれを書いている今,目がちょっと潤んじゃってますよ。
というわけで,この日,この大会はK太にとってもHスポ少野球部にとっても大きな節目となった大会だったのでした。
もうちょい続く。近況-4-へ